ネタバレありです
言の葉の庭までで新海誠監督が描いてきたテーマは一貫して「喪失と、それとは無関係に続いてゆく日常」であったと思う。誰かを、何かを失ったところで突然明日がやってこなくなることはない。女の子に振られたって腹は減る。この続いていく日常自体が本編で描かれることはないが主人公が喪失から立ち直り日常へ戻っていくところで終幕するというパターンが多く見られる。秒速5センチメートルでは最後に明里の姿が見えなくなったのを確認して踵を返して前へ歩んでいく(しかもよく見ると微笑んでいる)し、星を追う子どもに至っては「喪失を抱えてなお生きろと声が聴こえた」というやりとりで締め括られている。何かを失った人間が立ち直って生きていく姿は尊い。僕はこれまで新海監督にこのテーマを期待して映画を見続けてきたといっても過言ではない。
しかし君の名は。からの監督の作品はこのテーマを描いていない。描かせてもらえないのか、描こうとしていないのか。君の名は。が監督の作品として斬新だったのは、喪失から先の日常を描いて最後に出会い、喪失の補完の可能性を残した点だと思う。天気の子に至っては大きな喪失がない。前半はちょっとシリアスっぽくしようとして失敗した芝居が続き、最後は疾走感ある逃亡劇が続いてサクッと締める。監督がエンタメと言っていたのは、君の名は。の登場人物や花澤香菜、佐倉綾音と同名の人物が出てきたり、監督のマグネットが冷蔵庫に貼ってあったり、帆高の卒業式の歌が秒速1話の卒業式と同じ仰げば尊しだったりといった小ネタや後半のカーチェイスの疾走感を指して言ったのではなくて、自分がこれまで描いてきたテーマを全く出さなかったことに対するある種自嘲的な言葉なのではないか。まぁそれは考えすぎか? そもそも尺に対して人物が多く描写が足りていないし、盛り上がりの頂点がどこかすら怪しかったのも気になった。(最後の廃ビルに向けて走るところか? しかしそれにしたって運びが唐突に見える。このあたりは君の名は。の方が格段に上手かった。)
それにしても天気の子でこういう方向に進んでしまったということは、もう言の葉の庭以前のようなストーリーで映画が作られることはないのではないかと思う。もしそうなら、その理由が単に描きたいものが変わったからなだけだったとしても、残念に思う。
そんなこんなを一発で感じてしまったので、この映画を見た感想は「新海監督の新作が見られて嬉しい」ではなくて「映像作品だったね」だったし、今のところはこれを手放しで良い作品だったと思うことができないでいる。