これは masawada Advent Calendar 2014 21日目の記事です。
最近全くmasawada Advent Calendarやる気起きなくて、続かないものはとことん続かない性格なのがよく分かる感じ。一方で一度嵌るとなかなか抜け出せないタイプなので厄介。
Quyo見てると飯テロ.inに通ずるものを感じる。結局のところ両方とも文とか画像とかのアップローダなんだけど、こう使うんですよっていう方法を提示するだけでユーザはそれに追従してくれる。ちょっと性善説ぽいけど、ちゃんと成り立つ。
— Masayoshi Wada (@masawada) 2014年12月20日
こういうこと考えてたら昨日が終わってた。Quyoっていうのは、はてラボで公開された新しいWebサービスのことで、クヨウって読む。失くしたものとか捨てたものとかを供養すべくアツく語るサービス。
前述のツイート、ずっと前から考えてたことで、なにか使い方を提示するとたいていのユーザはそのとおりに動いてくれる。飯テロ.in、極端にご飯と無関係な画像をあげられたことは1回くらいしかない(アップロードするのにTwitterアカウントが必要ということもあるかもしれないけど)。
一方で、
@masawada 逆もあって、Yo みたいに超抽象的なサービスを適当にバズらせると変な使い方が出てくる
— 憧れに憧れている (@KOBA789) 2014年12月20日
@masawada あんまりっていうか、全く提示してなくて、どうにでも使えるものの使い方を制限しても自由にしても面白いってことが面白いです(伝われ)
— 憧れに憧れている (@KOBA789) 2014年12月20日
こういう意見もあって、これも正しい。
だけど、Yoに関してはシンプルすぎるからというのあると思っていて、Yoの他にHiとか☆とかあったら絶対に流行らなかったと思う。ある程度機能がつくと、ユーザはその使い方を想像/創造しづらくなる。
これに似たことが以前にあって、はてなグループの存在意義がよくわからなかった。以前からg91に所属していてはてなグループ使っていたのだけど正直あまり利点が見えなかった。なんでダイアリーついてるの。
今年はてなインターン行った時にid:mactkgとかid:Pasta-Kとかがはてなグループはこうやって使うんだよという話をしてくれて、ようやく理解できた。目から鱗という感じだった。
適度に簡素なのはとてもよいことで、そのぶん自由度が上がっていかようにも使うことができて便利。一方で中途半端に簡素だったり簡素すぎたりするとユーザが惑う可能性があって、本当は便利なのに使ってもらえないということがあり得る。
折衷案として簡素に作っておいて使い方をいくつか例示するというのがあるけど、それすらも面倒に感じるユーザ層がいる可能性もあってなかなか厳しい。
まとまりつかなくなってきたので寝る。